9月第四主日 9月26日(日)

讃美歌①13番(1,3,5節) ②7番(3,4,5節) 頌栄:29番

聖書マルコによる福音書9章38~50節

説教 「真の救いを願い求める」
マルコによる福音書はその紙幅の多くを主イエスのご受難、十字架に割いています。8章31節において最初の受難予告がなされ、そこから物語は新しい段階へと入ります。主イエスは確かにメシアであること、しかし死ぬことが定められているメシアであることが明らかにされ、そしてそのような死へと向かうメシアに従う弟子たちはどのように生きるべきか、ということも併せて語られます。9章31節で二度目の受難予告がありました。今日の福音はそれに続き、主イエスを信じるということはどういうことであるかが語られています。
ヨハネは自分たちのグループに属さない人々で主イエスの名によって悪霊を追い出している人々にその行為をやめさせます。「主イエスの名の権威」は弟子である自分たちだけの管理下にあると勘違いをしていたのです。しかし実際は、弟子たちが主イエスの名の下にある、すなわち主イエスの権威の下にあったのです。弟子たちはそのことを理解していませんでした。
42節から48節の主イエスの厳しいお言葉はもちろん文字通りに理解するべきものではありません。これは本来良きものである手や足や目といったものを用いて罪を犯し神のお働きを妨げてしまう私たち人間の罪、弱さを明らかにしています。それゆえ私たち主イエスを信じるものは、神からの恵みと力をいただいて断固としてそのような神に背く思いや行動から決別すべきであると主イエスはお命じになっています。罪とその罪がもたらす結末とを決して軽く考えてはならないのです。
マルコは語ります。主イエスを信じるということは、ただ自分の個人的な心の平安や慰め、充足感や満足感を求めてイエス様についていく、ということではありません。今日の福音が語っているように、時には大きな犠牲をも覚悟して、主イエスを信頼し、服従して、主イエスの後についていく、ということ、それが主イエスを信じる、ということです。それは決して楽な道ではありません。良いことばかりの人生ではありません。しかしそれこそが、神が与える真の幸いを知る人生です。主イエスが先立って下さり、共に歩んでくださる最も確かな道、安全な道です。今週も主イエスはその道を共に歩もう、と私たちを招いてくださっています。

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