9月第三主日 9月19日(日)

讃美歌①352番(1,3,4節) ②7番(3,4,5節) 頌栄:28番

聖書マルコによる福音書9章30~37節

説教 「すべての人に仕える者になりなさい」
主イエスは再び、ご自分が人々の手に引き渡されて殺されること、そして三日の後に復活することを弟子たちに語ります。しかし弟子たちはまだその主イエスの言葉を理解することはできません。すべてのユダヤ人ではないものの、多くのユダヤ人が、神がメシア(救い主、王)を遣わしてくださることを信じ待ち望んでいました。しかしもし神がメシアを遣わされるならば、そのメシアが苦難にあうなど、ましてや死ぬということなど誰も信じていませんでした。また、多くのユダヤ人が今の時代が終わる時に、神が死者を肉体をもった形で復活させてくださることを信じていましたが、しかしまだ今の時代が続いている最中に「三日後に復活する」ということは信じられないことでありました。ですから弟子たちは、イエス様は何を仰っているのだろう、とただただ困惑するのです。
弟子たちの無理解は続きます。イエス様がご自身の死と復活について語られたにも関わらず、弟子たちは誰がいちばん偉いか、ということを議論しています。イエス様のみ教えの中で、立場や名声を愛することに対する警告ほど何度も、直接的に語られているトピックはありません。それほど私たちは「人より上に立ちたい」「人に称賛されたい」という我欲にとらわれているのです。その弟子たちに、私たちに対して、主イエスは新しい生き方へと私たちを招いています。それは「すべての人の後になる、すべての人に仕える者になる」という、弟子たちが議論していたこととは真逆の生き方です。私たちにそのような生き方をすることはできるのでしょうか。できるのです。それは、他でもない主イエスが、そのような我欲に囚われている私たちを開放し、真の神の子としての姿を回復させるために、十字架の上でご自身の命を捨ててくださるまでに「すべての人の後になり、すべての人に仕える者となってくださった」からです。その主イエスの十字架での死と、その死を打ち破る復活によって、今私たちは、主イエスが招いてくださっている新しい神の国の価値観に基づいた生き方をすることができるのです。主イエスのように、すべての人に仕える者として生きるということは、どのような生き方となるのか、さらに主イエスは具体的な行動でお示しくださいます。それは子どもを抱き寄せて愛し受け入れられる、という行為です。当時子どもというのは最も無力で立場のないものでした。何の権利の主張もできない存在です。そのような子どもを主イエスがしてくださったように受け入れる時、私たちはすべての人に仕える者となっているのです。そしてそのような生き方をする私たちは、主イエスを、そして主イエスを遣わしてくださった慈しみの父なる神を受け入れているということになるのです。
ですから私たちはまず何よりも、十字架と復活にあらわされた神の愛を深く知り、感謝したいと思います。感謝の心が満ちる時、私たちは身につけていたさまざまな虚勢を脱ぎ捨ててすべての人の後になり、すべての人に仕える者となることができます。水が高きから低きへと流れるように、神の恵みも神と人に対して頭を低くしている者の上に注がれるのです。そしてまた、私たちは自らの置かれている場において、子どものように弱く、また弱い立場に置かれている人々と共に生きることを祈り求め実践していきます。そのように生きている時、私たちは真の意味で主イエスを、そして父なる神を知る人生を生きているのです。今日も主イエスは、このような全く新しい神の国の価値観に基づいた生き方へと私たちを招いてくださっています。今週も、その主の招きに従って主イエスに倣って生きていけますように、そのためにご聖霊が私たちを満たし、お助けくださるように、共に祈りをささげましょう。

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